塩きょう子

子育て安心のいわき市

塩きょう子(しお・恭子)

私は31年間、保育の現場で働いてきました。大震災や原発事故、コロナ流行を経るなか、社会情勢の変化で、子どもたちが不安を抱えることがないような社会をつくりたいと、市政に挑戦します。物価高で暮らしが大変なのに、裏金で私腹を肥やす政治では、子どもたちの未来を託すことができません。市民のために、いつも一生懸命で、すぐ行動する高橋明子市議。私はその活動に学んで、みなさんの声を市政に届けます。

プロフィール ●1967年原町市生まれ。県立原町高校、いわき短期大学幼児教育科卒。●保育士、養護施設いわき育英舎、原町聖愛保育園、いわき・さくらんぼ保育園に勤務。いわき・さくらんぼ保育園労働組合執行委員長をつとめる。●家族/夫、5人の娘、夫の母(元理髪店経営)

【活動地域】平、四倉、小川、川前、久之浜・大久、若葉台常磐上矢田

 

高橋明子市議からバトンタッチ

市議会最後の質問を終えた高橋明子市議をねぎらう

これまでのご支援に感謝いたします。塩きょう子さんは、保育現場31年、子どもたちの成長をあたたかく見守ってきた人。5人の娘を育て、まわりの人を巻き込む肝っ玉母さんです。

私は市議を引退しますが、くらしの相談役として、みなさんから寄せられた声を塩きょう子さんへつなげます。私に倍するご支援を、塩きょう子さんへお寄せください。 高橋明子・いわき市

 

子育て安心のいわき市へ、3つの思い

保育料と給食費を無料に

保育士、5人の娘を育て、家計をやりくり

制服代が払えないなど、家計のやりくりに苦労しました。お金のあるなしで、子どもたちに辛い思いをさせてはいけません。2歳までの保育料無料に必要なお金は6億7千万円、市予算の0.5%です。この仕事を市政でやらせてください。

ケア労働者の待遇改善を

労働組合を立ち上げ、労働条件改善

「手取り月6万円。日曜日に行事出勤も代休なし」ーー塩きょう子さんは、保育士として勤め始めた頃、やりがいを感じるも、働き続けられるか不安で、仲間と労働組合を立ち上げました。理事会との話し合いの場を持つなか、行事が土曜日にかわり、日曜日が休みに、給料も改善。こんどは、保育士や医療・介護職などケア労働者の待遇改善へ、がんばります。

子どもたちへ原発ゼロの日本を

原発事故で保育が一変、いわき市民訴訟の原告

原発事故当時、子どもたちを外で遊ばせたり、つくしやよもぎを調理して食べさせ、生きる力を養うことができなくなりました。塩きょう子さんは、子どもたちの発育を奪った原発事故を恨みました。「もとの生活を返せ」と、いわき市民訴訟の原告になり陳述もしました。東電から1人8万円の追加賠償を勝ち取る力になりました。未来の子どもたちへ、原発ゼロの日本を手渡すために、塩きょう子は全力をあげます。

塩きょう子ヒストリー

原町市生まれ

3人兄姉の長女として生まれました。生後すぐ股関節を脱臼して病院通いに。おとなしい子どもでした。

バドミントン部に

自分を変えたいと、小学校高学年の時に合唱部に。中学からバドミントンをはじめ、短大まで続け、県大会に出場したこともありました。

保育士をめざし

弟がかわいくて、遊んでいる姿を見た人から、保母さんに向いていると言われ、中学生のときに目指そうと決意。いわき短期大学で学びました

子どもたちの発育を学ぶ

いわき・さくらんぼ保育園につとめ、子どもたちが描いた絵から、発達状況を知ることができるなど、実践で学ぶことが楽しみでした。

5人の子育て

短大時代に出会った夫と結婚。5人の子どもを授かりました。子どもが病気のときは、平日休みの時の夫や、夫の母が面倒を見てくれました。家族7人分の弁当づくり、唐揚げ2キロ、スパゲティー3キロなど鍋を何回も使いました。

日本共産党に入党

高橋明子市議の孫が保育園に通っていました。労働組合を立ち上げるとき、日本共産党の人が相談にのってくれました。自分のことより他人のために頑張る姿に惹かれて入党しました。